スピンオフ“なんて”?
「恋する母たち」のスピンオフ
私はあんまり、ドラマのスピンオフが好きじゃなかった。
正確には、興味を失いつつあった。
本編が好みでも、スピンオフの主人公(大抵は若い男の子の場合が多くて)、
そのキャラに共感できないと辛い場合が多い。でも、
「恋する母たち」のスピンオフは、彼女たちの相手役や周りの男性陣が回ごとに主人公。
だから、すごくお得な感じがするし、もうひとつのドラマを観ている、そんな感覚。
そして、私は最高の回に出合ってしまった。
「恋する男たち」第4話 息子たち編=落ちこぼれ三銃士の夏
制作発表記者会見では、息子たちの恋模様も放映予定とあり、高校生の恋愛??どんな風に描かれるんだろ?と思っていたけれど、そっか、そうなんだとすごくすごくしっくりくるストーリー。
私は原作の漫画を読んでいないので、ドラマのみの感想になりますが、ここからはちょっとネタバレです。
それは、同性同士の恋で、でもすごくそれが自然で、素敵で、人間らしくて、
大介の研への想いを優しく見守る繁秋の暖かさが、その後に落語家になりたいと言う彼の人間性を表している、それも良かった。
バスケのシーンから、花火のシーンへ移る時、音楽も相まって、私は涙が出た。
これはどういう感情?切ないとも違う、
あ、
これは、“哀しい予感”だ。
哀しい予感
私が“哀しい”という感情や感覚を初めて意識したのは、吉本ばななの「哀しい予感」を読んでから。私はこの小説が「キッチン」を抜いて一番好きで、出合ったのは高校生の時。
切ないとも違う、“哀しい”に含まれているのは、どんなものにも終わりがあるけれど、分かっていても人は求めずにはいられなくて、でもそれを超えて踏み出して手に入れること、それによって得られる喜び、苦悩、全部で“哀しみ”。
それを予感することは、何かが始まるってこと。
季節が始まりそうな時、3月の、10月の、“何かが始まりそうな”そんな予感。
それが、“哀しい予感”
それを、私は「息子たち編」で感じたから、だから涙が出たんだろう。
大介が河原で号泣するシーン。肩を抱く繁秋。
実る、とか、実らない、とか、そんな事で人生は評価できない、その行為だけで、素晴らしいということ。
人生は哀しい。私は「哀しい予感」に出合ってから、そう想う様になった。
それは、私にとってはブルーは冷たい色なんかじゃない。
全てを包み込む、暖かい色なんだっていう感覚と同義だ。
やがて全てが終わっても、魂はどうなるかな、生まれ変わったら、また会えますか、それが哀しい予感。
生きることは、哀しいんだ。だけど、だから、
恐れることはないんだ、と。
セカンド・ラブ
「恋する母たち」の脚本家、大石静氏の作品で最も好きなのは、「セカンド・ラブ」。この作品で私は大石静を知った。この作品で音楽を手掛けた得田さんも大好きになった。(ドラマのサウンド・トラックについては話が長くなるので、また改めて・・!)
早朝の空に、浮かびあがる工場の煙突とその煙。夕焼けの中で腕を上げて深呼吸する結唯に恋する慶。見つめ合った二人の間に流れるゆっくりとした空気と、エモーショナルな音楽。ストーリーもキャストも演出も音楽も衣装も全部良い。好きです。
生きていくのに、波風は立てない方か良いですか?
損とか、得とか、そういうことを基準にして生きていきますか?
何事もなく、無事に、無事に、平穏に。
それは、日本という世の中が作り出したものだと、思う。
誰かが作った道から逸れることなく、人とぶつからずに自分を押し殺して、“損しないように”、生きる。
押し殺した想いや感情はそれでどこにいくの。
私にはそれは無理なんだと思う。
でも、その代わり、ドラマに共感できる。楽しめる。
セカンド・ラブの結唯の行動も理解できる。
私が、私であることを、否定するのはもうやめよう。
受け入れよう。
大石静の作品を好きな自分を、好きになろう。
大変なことになってしまったなと感じた春ごろから、
私は今、まっさらになりつつあると感じてる。
そんな風に感じている人は、多いだろうと思う。
みな、違う。同じじゃない。
頭では分かっていたことを、心でつかみ始めてる。
まずは、自分の今を、受け入れよう。
哀しい予感を、感じながら。